1938年のこの日 アイヴァー・ハグランドがシアトル水族館をオープン

2024/09/02 13:08

1938年のこの日 アイヴァー・ハグランドがシアトル水族館をオープン

1938年のこの日…

シアトル発-新進フォーク・シンガーだったアイヴァー・ハグランドは、1938年9月2日、シアトルのピア3(後にピア54となる)に小さな水族館をオープンして話題を呼んだ。
この水族館は、地元の海洋生物を数多く展示し、アザラシをサンタクロースに会わせたり、タコを肩に掛けてウォーターフロントを歩いたりと、ハグランドが得意とする宣伝スタントのおかげで大きな注目を集めた。
ハグランドが水族館を作るきっかけとなったのは、オレゴン州シーサイドにあるいとこたちの同様の施設を訪れたことだった。
シアトルに戻ると、彼はピア3の北東の角に場所を借り、3つの大きな水槽と、常駐のアザラシ、パットを入れる4つ目の水槽を設置した。
当初は水槽が粉々になるなどの遅れがあったものの、水族館は1938年9月初旬にオープンし、ピュージェット湾の豊かな海洋生物を垣間見ることができた。
ラットフィッシュ、マッドシャーク、ナマコ、さらには175ポンドの巨大なスケートフィッシュなどが展示された。
妻のマギー、母親のエルマ・バトラー、17歳のバド・リキンスらハグランド・チームは、フジツボや砂、砂利を使った自然な展示物を作るために奔走した。
パット・ザ・アザラシは水族館のスターアトラクションのひとつとなった。

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1938年のこの日

ハグランドは水族館を人々の目に触れさせることに尽力し、1940年のクリスマスシーズンには、パットを乳母車に乗せてパイクプレイス・マーケットを練り歩いた。
またあるときは、水族館のタコ、マーマデュークをアラスカン・ウェイ沿いに運び、通行人を楽しませた。
ハグランドはまた、飼育している生物についての歌を作ったり、海洋生物の話で小学生を楽しませたりもした。
ビジターエリアまで飛び出したタコの戦いや、ヒトデの足を18本も食べて死んだオオカミウオなど、水族館にドラマがなかったわけではない。
時が経つにつれ、ハグランド氏の関心は1946年にオープンしたレストラン「Acres of Clams」に移っていった。
水族館の目新しさは薄れ始め、海洋生物を生かし続けることの難しさもあって、ハグランドは1956年初めに水族館を閉鎖することを決めた。

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最後の魚をピュージェット湾に戻した後、ハグランドは静かにレストランの経営に戻り、シアトルの歴史におけるユニークな章の思い出を残した。
現在、ウォーターフロントにあるシアトル水族館は1977年にオープンし、59番埠頭と60番埠頭の2つの建物と、8月29日にオープンしたばかりのオーシャン・パビリオンで構成されている。

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